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きょうはきのうのあした

yuntata.exblog.jp

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音楽会な週末

土曜日は中学の吹奏楽ミニコンサート
日曜日は小学校の音楽発表会だった。

ロッタがファゴットを演奏するのを
間近でじっくり見たのは初めてだった。
夏のコンクールは見に行ったけれど
会場が広くて舞台も離れていたし遠巻きに眺めたという印象。
学校の体育館での演奏、しかも一番前を陣取ったので
様子がよくわかって楽しかった。

やっぱり吹奏楽はクラシックが似合うと思う。
マルマルモリモリとかAKBよりも
コンクールの課題曲や自由曲のほうがずっと趣があって
よかったなー。
ジャズとかもやればいいのに。

地元のオーケストラが参加して2曲やったあと
全員で1曲やって終わり。
総勢100人の演奏は圧巻だった。

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小学校の音楽会は日曜日の午後。
1年生から6年生まで全部見たけどどの学年もよかった。

小さい子が一生懸命指揮を見て大きな口を開けて歌う姿は
それだけでぐっとくるものがあるし
高学年のひとつひとつの音をていねいに拾って
紡いでいく音楽も感動的。

やっぱり一番前で見てたんだけど
不思議なくらい手を抜いてる子がいない。
小学校高学年ってこんなまじめなものだったっけ?

どの子もきちんと前を向いてちゃんと声を出してる。
当たり前のようでむずかしいことだと思う。

それにしても年をとったのか
一生懸命とかひたむきとか真摯とかってものに
からきし弱くなった気がする。

1年生や2年生が精いっぱいの歌声を聴かせてくれる
そのことに感動してしまったり
6年生のピアノの音のきれいさに涙しそうになったり。
ああもうすっかり涙もろいおばちゃんやん・・・

子どもが純真な存在だなんてのは幻想だとわかっていても
なにかに一生懸命向かってる姿というのは美しいよね。
そういうのに感動してもいいよね。

ニコさんは合奏のときオルガンを弾いてた。
楽器の配置はあらかじめ聞いてなかったんだけど
いざ並んでみたら私が座った場所の真正面だった。
一番前の観客と演奏側の一番前で向かい合ってしまって
かなり照れくさそうだったけど
曲がスタートしたらさっと切り替わって
きちんと指揮を見ながら弾いてた。うむ。えらいぞ。

休日とは思えない早起きで一日動いて疲れたけど
やっぱこれは行く値打ちがあるよなーと思った。
自分の子どもの出番のときしか見ないなんてもったいない。
どの学年もその年齢ならではの素晴らしさがあるし
曲のバリエーションもあってとても楽しい会だった。

まあでもちょっと代休とかほしい気分ではあるのだけどね・・・
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by lottanico | 2011-10-31 23:17 | 日々

ひとり酒

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新宿鮫Xを読んでる。
いきなり10作目からという入り方だけど面白い。
早く続きが読みたかったのと仕事が忙しくて頭がぱつぱつだったのとで
赤羽で途中下車。

さいきんよく行くお店はおいしいけどちょっと暗くて本を読むには向かない。
エキナカに新しいバルができたと聞いたのでちょっとのぞいてみた。

カウンタとスツール、テーブルが少しの小さなスペース。
混んでくれば立ち飲みもありかな、という感じ。

エキナカに酒飲めるスペースがあるってなんだか不思議。

ハイボールを飲みながらハードボイルド?を読む。
なんか楽しい。

あてはセロリとエリンギのきんぴら、砂肝とキノコのアヒージョ。
鮫島さんの世界に浸るには1杯じゃちょっと足りないなーと
もう一杯頼んだりして。

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by lottanico | 2011-10-29 00:38 | 日々

後悔はないか

その場にロッタがいなかったのは
週に1回通っている塾の日だったからだと思う。

片づけたテーブルでニコが宿題をやっていて
私は食後のコーヒーを飲みながら新聞を読んでいた。

ニコがふと目を上げて、突然聞いてきた。

「ママはもし戻れたら子どもの頃に戻りたいって思う?」

わりとすぐに「戻りたくないと思う」と答えたら
ニコは目を丸くして「子どもの頃、嫌だった?」と訊ねてきた。

「うーん、嫌じゃなかった、かな。
いいことばかりじゃなかったけど
子どもの頃は子どもの頃で楽しかった。
でもちゃんと楽しかったからもう一回やらなくてもいい」

そう言ったら
「後悔は、ないの?」
と質問されて、返事に詰まった。

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失敗したことなんて山のようにある。

あのひとことを言わなければ、あのとき引き返していたら。
あのとき一歩踏み出していたら、あのとき手を離さずにいたら
いろんなことが変わっていたかもしれない、ということが
人生には必ずある。一度や二度じゃない。

失ったものを夢に見て泣きながら目を覚ました夜が、私にもある。
たしかにあった。

では、いま私に
あの頃に戻りたい、と強く願う過去があるだろうか。

やり直せるものならやり直したいと思っているポイントがあるだろうか。

・・・・・考えてみたけれど、思いつくものが何もなかった。

忘れているだけだろうか。

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いまの生活に100パーセント満足しているか、と聞かれたら
イエスと即答はできない。

足りないことや手に入れたいもの、こうだったらいいのに、
と思うものは探さなくてもいくらでも出てくる。
自分に望むこと、家族に望むこと、周囲に望むこと。
挙げていけばきりがない。

でも、いままでにあったいろんな出来事に思いを巡らせて
失ったものや得られなかったものを思い返してみたけれど
いまの自分と引き換えにしてでも取り戻したいものは
どうしても思いつかなかった。

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by lottanico | 2011-10-26 23:50 | 日々

トウキョウソナタ

観た映画の話を友人とするのはとても久しぶりだった。

もともと映画や書物の感想を話したり書いたりするのは苦手なほうだ。
そもそも見て感じたことを的確に言い表す自信がないし
もっと深い感想を持つ映画好きの人から見たら
私のつたない感想なんて稚拙に見えるかもしれないし、
軽い見方、底の浅い感想しかないのだと思われたりもしたくない。
さらに言えばそんな風に考えているのを見抜かれたくない。

いつもぐるぐる勝手に一人で考え過ぎていた私には
「誰かと映画を見てお茶を飲んで感想を楽しく語り合う」
という一見簡単そうに見える、
実際当時の一般的な若い男女ならだれでもやっていたであろう行為は
とてもハードルの高いことだった。

だから「映画は一人で見るものだ」
と思っていたしそう口にしていたし、実際一人で見に行っていたので
私と映画を一緒に見たことがある人はとても少ないと思う。

家から自転車で10分ほどの距離にシネコンがあって
見ようと思えばいつでも気楽に映画が見られるけれど
なかなか行かない。
二本立て三本立てを探して行っていた学生時代が嘘みたいだ。
レンタルを借りることも稀になってしまった。

映画は好きだけれどゆっくり見る時間がとれない、というのを言い訳に
そのへんの映画好きでもなんでもない学生さんよりも見ていない。
私にとって映画は年に数回、ほんとうにぽっかりと空いた時間にだけ
見るものになってしまった。

トウキョウソナタはそんな数少ない機会に恵まれて見た作品だ。
たまたま家族が誰もいない夜にレンタルしてきて自宅で見た。

一人の夜を有意義に過ごした証拠みたいなものがほしくて
選んだDVDだった。
選択に特に深い意味はなかった。
字幕を読むのが面倒だったので邦画を選んだ。
笑いたい気持ちでもアクションに心躍りたい気持ちでもなかったので
なるべく淡々としてそうなものを選んだだけだった。

小泉今日子がなかなかいいよ、とどこかで読んだ気もした。
年齢が近いこともあってかキョンキョンは自分の中で特別な存在だ。
一定の年齢を過ぎても古びず
いつもかっこよさを更新し続けているアーティストの一人である彼女が
すんなりとしなやかに年を重ねている間は
自分もなんだか大丈夫だ、というきもちに勝手になっている。

彼女がかければ老眼鏡も年を重ねる中で手に入れた
お楽しみアイテムのひとつ、みたいに見える。
それは彼女が年をとることを楽しんでいるからだろう、きっと。

そんな彼女がこの物語の中では
私とさほど変わらない二人の子どもを持つ普通のお母さんとして登場していた。

少しずつすれ違っていく日常。
なにかを期待したり諦めたり傷ついたりしながらも
表面上はなにごとも変わらず朝ごはんを作り昼ごはんを作り夕飯を作る。

「引っ張って」と言っても夫に気が付いてもらえない小泉今日子。
彼女のなんでもない小さな落胆と諦めと
でもあたりまえに続いていく日常が私にはよく理解できた。

身につまされる、と言うほどのことは自分に起こっていない。
同じ境遇というわけでもない。
子どもたちはもっとおおらかで素直に笑顔を見せているし
夫は権威主義でもなんでもない。
でも夫婦の中の家族の中のなんとなく、な間合いのようなものは
どの家にも存在している。もちろんあの家にもあったし、うちにもある。
それの積み重ねが家族になる行程なんだろう。
一方で家の中というのはどこにも行き場がない澱のようなものがたまっていく場所でもある。

友人はリストラのリアリティに怯え、二度と観たくないと言っていたけれど
同様に小泉今日子のあのシーンのこともよく覚えていた。
二度と見なくてもかまわないほどに心の中に強く
あちこちのシーンが楔のように残ったのだと思う。

子どもがピアノをやっている、ということから
トウキョウソナタみたいだという話になった。

そんなに才能はないよ、あんなに焦がれるような想いでやってもいないし。

あの映画はこのシーンが心に残っている。

自分はむしろこのシーンに戦慄を覚えた。


小さな会話だった。
ものすごく弾んだわけでもない。
ただ同じ映画を見たことがある同士だからできる会話だった。
それぞれに思うところがあってそれぞれの感想は違うけれど
結局それは印象に残った順番が違うだけ。
立場と経験が違うから見ている側面が違うだけ。

お互いに見てから時間が経っているので
自分の中に咀嚼した印象だけが残っている。
それを踏まえて会話したあとには
同じものを見てたんだな、という静かな気持ちだけが残った。
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by lottanico | 2011-10-24 16:30 | 日々

見上げる

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草むらにごろっと寝ころんで
空を見上げたら気持ちよかった。

こんな風に空を見たのは何年ぶりだったかな。
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by lottanico | 2011-10-13 23:03 | 写真(風景)

シャボン玉

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荒川沿いのサイクリングロードを自転車ですいすい走って浮間公園へ。
これちゃうもんですなあ。
鉄橋をくぐってから子どもたちと競争してガンガン走ってたら
30分くらいで着いちゃった。

信号なし車も来ないサイクリングロードすばらしい。
草のにおいと冷たい風と秋のやわらかい日差しと。
自転車で遠出は久しぶりだったけど楽しかった。

浮間公園では遊具で遊んだりシャボン玉したりボール投げしたり。
こうやって子どもたちと公園来るのも考えてみたら久しぶりだった。

われにくいシャボン玉はほんとうにわれにくい。
写真が撮りやすかった。
でもちょっとずる?
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by lottanico | 2011-10-10 10:50 | 写真(子ども)

OB参加

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小学校の運動会には中学生がけっこう来てた。

妹弟がいる子達だけじゃなくて
もう学校に直接かかわりがない子たちも来てる。
先生たちに挨拶したり友だちを見つけておしゃべりしたり
金管の種類が増えたのを目ざとく見つけて
「去年はこんなのなかったーなんで!?」とぶーたれたり。

地元で育つってこういうことなのかなあ。


私自身は転校が多かったので母校に立ち寄るっていう経験がない。
ほんの2年ほどいただけの学校だとどこもたいして愛着も思い出もないし
先生や級友の顔もおぼろげにしか浮かんでこない。
担任してくれた先生以外の教師の記憶なんてさらにないので
こんな風に卒業した学校へ足を踏み入れて
自然にOBとしてふるまう彼らのことがちょっとうらやましい。

高校の頃、OBがよく部室に来ていた。
大学生になって高校に顔出すなんて友だちいないのかな?
なんてひそかに思ってたけど
地元で生きている人間にしてみればそれも当たり前のことだったのかな。

去年自分たちがやった組体操を後輩たちがやっている。
その姿を見て自然に拍手をしていたり
町会別のリレーで自分の地区のたすきをかけて走る子に
大きな声で声援を送ったり。

OBです。って意識すらないんだろうけど
そうやってこの町で育ったこの町の子になっていくんだなあ。
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by lottanico | 2011-10-02 21:46 | 写真(子ども)

運動会

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豆絞りが思いのほか似合ってた。
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by lottanico | 2011-10-02 21:42 | 写真(子ども)